オナニーはなぜ避けるべきなのだろうか。
なぜオナニーをやめたら人生が変わったという体験談が後を絶たないのだろうか
その答えをある1冊の書籍から考察してみたいと思う。
反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
- 作者: 草薙龍瞬
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/07/31
- メディア: 単行本
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悩みを作り出す3つの心の状態
悩みがある状態、心がもやもやするとき、心には3つの状態のいずれかがあるとブッダはいう。
- 貧欲
- 怒り
- 妄想
の3つである。
これらは三毒と呼ばれ、「人間の3大煩悩」と呼ばれる。
妄想-これは想像したり、考えたり、思い出したりと頭の中でぼんやりと何かを考えている状態です。「あれやこれやと、つい余計なことを考えてしまう」「落ち着いて物事に取り組めない」という悩みの理由は、「妄想」にあります。 P42
オナニーはこの3つのうち、「妄想」する脳を強化してしまうのではないだろうか。知らず知らずのうちに、不幸になるための練習をしている可能性がある。
なぜ妄想が不幸になる練習なのか
自分の人生を幸せと考えられない理由。
それは「今、ここ」を生きることができないから。
過去の失敗や栄光にすがったり
先行き不明な未来に不安を抱く。
現在の自分をありのままにみず、妄想の中に逃げ込む。
妄想とは、現実ではなく脳が生み出す仮想のものだ。
AVに代表されるポルノは、完全なファンタジー。しかも男の「妄想」を再現してみた!という類のものである。
しかも、「性」という原始的な部分、脳の奥深いところにある根源的な欲求と結びつくものであるから性質が悪い。
「妄想」のジャンルに含まれるものはすべてが悪ではないと思う。映画などのSF作品などは、多くの人のイマジネーション・モチベーションに火をつける。健全的な妄想だ。
しかし、陵辱ものと言われるようなポルノ作品は全く持って不健全だ。現実と妄想を混同して、性犯罪に走る例は後を絶たない。
性犯罪というといささか極論かも知れない。だが、性犯罪という極論の影に隠れて、妄想の中に生きる人生を送る人が沢山いると思うのだ。
オナニーに費やす時間はわずかかもしれない。
だが人にとっては10数年、ほぼ毎日繰り返している人もいるだろう。
ポルノという妄想世界に習慣的に浸る。
妄想世界に浸るだけでも、脳は喜ぶ。さらに射精という快楽のおまけ付きだ。こうして、ポルノ依存症は形成されていく。ここから抜け出すのは容易ではない。ゆっくり、ゆっくり不幸せになっていく。
薬物などと違って脳を破壊するという類のものではないが、こらから待ち受ける人生の様々な選択において、妄想する力が肥大し、現実を視て生きる力がない人間はどうだろう。
それもまた、次元は違えど不幸せだと僕は思う。
今、ここを生きていなことほど不幸なものはない。
緩やかな死。
その悪影響に気づかず、不幸になる練習を夜な夜な繰り返す。
それがオナニーだ。
間違いなく僕もその一人だった。
オナニーを捨て、今を生きよう
外に出て、山を走ってみる。
喫茶店で読書をする。
愛するパートナーとデートをする。
なんでもいい。
いま、ここを全力で感じる努力をしよう。
うまくまとまらなかったが、
オナニー=不幸になる練習。
このキーワードだけは胸に留めてほしい。
最初の問いに答えるとすれば、
不幸になる練習をやめ、自分の人生を歩み始めた。
その小さな一歩が人生を変える作用があるのかもしれない。