自分の感受性くらいという詩がある。
茨木のり子さんという詩人の方の作品だ。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この「感受性」という言葉を僕は「可能性」という言葉に置き換えて読んでいる。
今の自分を作ったのは自分の選択。
小さな選択の総和が自分。
自分の境遇を、誰かのせいにしたくなった時、この詩を思い出す。
最近は仕事でも周りが敵だらけのように思えて、心底、心がすり減る毎日だ。
こんな時、新卒の時を思い出す。
今は多分、底なんだ、あとは上がるだけなんだと。
自分の可能性くらい
自分で守れ
ばかものよ