僕が語る恋愛論。
サンプル数は僕の経験。
n=1
だけど、恋愛の経験が豊富っていうのはどうなんだろう。
最愛の一人に巡り合えればいいじゃない。
恋愛経験が豊富って、「これで10回禁煙に成功してる」みたいな、矛盾をはらんでいるように思う。
まぁ、前置きはいいとして、このエントリーでいいたいことそれは
「自然体であれ」
ということ。
偽りの自分を好きになられても、苦しいだけ
貴方が恋愛する理由は何だろう。
彼女が欲しいから?
結婚したいから?
やりたいから?
理由はどうあれ、最愛の人と過ごす時間は、何事にも代えがたい幸せを運んでくれる。これはもう、コスパとか、生きるコストとか、そういうんじゃ説明不能の世界なことは間違いない。
現在進行形で婚活などに参加し、チャンスをつかもうとしている全ての人に尊敬の念を感じざるを得ない。素晴らしいことだ。続けてほしい。この世は「行動の星」なのだから。
しかし、そこにいる自分は「ありのまま」の自分でいるだろうか?
「無理して」ないだろうか。
偽りの自分を演出して、そんな自分を好きになられても、そのあとはとても苦しい。
偽りの自分でいることは、相当に苦しい。
偽りの自分でいると、相手への不満も高っていく。
「俺は、こんなに頑張っているのに・・・」という思考のフィルターは、相手をありのままに見れなくなる。
そんな関係の恋は、続かない。
まずはモテようとか、テクニックとか、そういうものを忘れよう。
目の前にいる一人の女性に、関心を寄せよう。
品定めするような目線ではなく、この広い世界で、二人の男女が出会っているという奇跡をかみしめながら。
すると、相手もありのままに自分に関心を寄せてくる人に、心を開かずにはいられない・・・・
すごくふわふわしているだろう。
恋愛「論」といいながら、僕が感じる、言語化できない「なにか」を書き記している。
ありのままでいいということは、努力しなくていいということとは全く異なる。むしろ、自分を磨けば磨くほど、あなたの「ありのままの魅力」は増幅し、素晴らしい女性と出会える確率も高まるだろう。
この辺は「爽イルド」男子が、参考になるだろう
あと、恋は落ちるものではなくて、能動的な努力によって成されるものである。
この辺は是非、フロムの「愛するということ」を読んでほしい。
そしてオナ禁がなぜ恋愛に効くか。
これはおそらく
相手を「性処理の対象」としてみるフィルターが無くなることが大きいように思う。
相手をありのままに見ることができるようになることもまた、オナ禁効果なのではないのだろうか。